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教育界の働き方改革「一丁目一番地」部活動地域展開

多くの教員の本音と、ガバナンスの絶対条件とは

こんにちは。

いつもはインタビューや解説といった少し硬めの記事をお届けしていますが、

今回は私自身の経験も交えながら、少しフランクな「語り口調」でお話しさせていただきますね。

たまにはこうしたスタイルも、リラックスして楽しんでいただければ幸いです。

これはあくまで個人的な意見なのですが、教員の業務負担軽減=働き方改革を考えるときに、

一丁目一番地に推進すべきは「部活動の地域展開(地域移行)」かなと感じております。

たくさんの教育関係者と仕事とプライベートで接する中で、

そのように感じる発言を多く耳にするからです。

部活動の地域展開の現状はニュースや現場では、受け皿となる地域クラブをどう確保するか、

費用はどうするかといった仕組みの話ばかりが活発に議論されています。

でも、私は外部指導員として現場の様子を見たり、々な話を聞いたりするたびに、

いつもある一つの決定的な視点が置き去りにされているような気がしてならないんです。

それが、地域展開におけるガバナンス——つまり、

「定められた規則(ルール)を、管轄する側がいかに厳正に運用するか」

という問題です。

実は私、かつてプロ野球の審判員としてグランドに立っていた時期があります。

何万人もの大歓声が響くスタジアムで、スター選手たちを目の前にしながら、

ルールに則って冷静に、利害関係なく公平に試合をジャッジする。

一般的にはなかなか体験できない貴重な時間を過ごしてきました。

今回は、その「審判員の視点」、臨場感あふれるグランドでの経験、

そして現在の「外部指導者」としての現場の視点を踏まえ、

これから部活動が地域に展開していく中で絶対に避けて通れない

「ルール遵守とガバナンスの重要性」

について、本音で語ってみたいと思います。

審判員視点:ルールは「秩序」と「安全」を守るための生命線

スポーツにおける審判の仕事って、感情を一切排して、

ルール通りに冷静かつ公平に試合をジャッジすることなんです。

この役割を通じて私が痛感したのは、

「ルールを遵守すること」がいかにその世界の根幹を支えているか、ということでした。

ルールというのは、決してプレイヤーを縛り付けるための意地悪なものではありません。

その世界の秩序を守り、全員が等しく、安全にプレイするために不可欠なものなんです。

例えば、、、、

野球における「危険球」というルール。

一定の速度のある頭部付近への危険な投球に対して退場を命じるこの厳しい規則があるからこそ、

プレイヤーの肉体的な安全は守られます。

ルールが厳格に運用されていると信じられるからこそ、

選手たちは安心して全力を尽くすことができるんですよね。

「インフィールドフライ」というルール。

このルールがない場合に攻撃側が不利を被る可能性があるため、

その不利益を排除するために定められています。

詳しいルール解説はしませんが、野球のルールやフェアプレーの重要性を捉えているルールです。

このルールがある事によって卑怯なプレーが起こらない設計になっています。

ただ、秩序というのはルールが存在するだけでは保たれません。

審判(あるいはリーグを管轄する連盟)が、

いかなる状況でもルールに則って厳正にジャッジを行うからこそ、

初めてその競技が健全に成立します。

ここで大切なのは、審判のジャッジにおいて「人(選手や監督)」は一切見ない、ということです。

そのチームが置かれた状況や、選手・監督の個人的な背景なども、判断材料には1ミリもなり得ません。

ジャッジはあくまで、

「起きた事象が規則上どうであるか」のみ。

情は挟まず、目の前の事象と規則だけを厳格に照らし合わせ瞬時に判断する。

それこそが、審判する側の絶対に譲れない仕事なんです。

言うまでもないですがプロのスピードだと、それを行うことは並大抵のコトではありません。

めっちゃ難しいです。

外部指導者視点:現場に潜む「ガイドライン軽視」の罠

ひるがえって、これから地域展開が進んでいく部活動や地域スポーツの現場はどうでしょうか。

現在、多くの自治体で「平日・休日の活動時間」や「週の活動回数」の目安を定めたガイドラインが設けられていますよね。

私たちが外部指導員として関わる際にも、契約書において明確な規則が交わされます。

でも残念ながら、現場からは「そのガイドラインや規則が形骸化している」という声が、今もなお聞こえてくるんです。

例えば、部活動で実績を残すことや、自身の功績をあげることを目的としてしまっている一部の指導者は、

普段の教室では教師として「主体的・対話的で深い学び」を通した生徒の成長に向けて一生懸命に授業をしているはずですが、部活動となると生徒の主体性を育む視点を欠き、個人の考えに子供たちを当てはめるトップダウンの指導に陥りがちです。

ひどいケースになると、ガイドラインや契約書の文面の「抜け穴」を突いて、

実質的に活動時間を延長したり、名目を極秘に変えて活動回数を増やしたりする指導者まで存在します。

規則を破ってまで、目先の「勝利」を得ようとする感覚。それは、ルールを尊重し、

その枠内で競い合うスポーツマンシップの精神から最も遠いものですし、

ルールを破った勝利に、一体どのような教育的価値があるのだろう、と思ってしまうのです。

少年野球事例にみる、

地域スポーツのガバナンス不足が招く未来

こうした「大人のルール軽視」がもたらす弊害は、

部活動の地域展開を考える上での「負の先例」として、少年野球の世界に生々しく現れています。

子どもたちの肩や肘を守るための「球数制限」の導入、

さらに2027年、「投手と捕手の兼用不可」という新ルールの導入も定められました。

知人を介してこの新ルールの導入の動きは数年前から知っていました。

ルール導入の大きな理由としては、捕手がセカンドへ送球する際の負担は、

投手の1球の投球よりも遥かに大きいからです。

少年野球では投手の技術が未熟であり、「パパ審判」がボークを取れないため、

実質的に“盗塁無法地帯”のような状態です。その結果、プロや高校野球よりも、

捕手が全力送球を強いられる回数が圧倒的に多くなっているのが現状なんですよね。

「ルールで強制的に縛らなければ、大人の都合によって子どもの身体が壊されてしまう」

そんな危機的状況があるからこそ定められたルールです。

定められた「背景」を知ることは極めて重要です。

そうしなければ子どもを守れない状態だったからに他なりません。

(※個人的にはまだ不十分と思っていて、次は「盗塁数制限」も設ける必要性を感じています。)

しかし、ルールができてもそれを破る指導者がいるのも現実です。

「相手にバレなければよい」「審判も気づいていない」

そんなスポーツマンシップの理解に乏しい残念な指導者のモラルは、

言うまでもなく厳しく問われるべきですが、さらに重い責任があるのは、それを現場で見逃し、

規則に則った対処を怠ってきた「連盟側(管轄者)」にあります。 

違反が起きた際、管轄する側が、

「ボランティアでやってくれているんだから」「今回だけは穏便に」などと

厳正な処分を怠ってきた結果、何が起きたでしょうか。

ここで断じなければならないのは、

「ボランティア活動だからといって、ルールを破っていい免罪符には絶対にならない」

ということです。

ルールを破った者が得をし、正直に守った者が損をする。そんな歪んだ構造を放置し続けた結果、

「少年野球あるある」なんて言葉が生まれ、多くの家庭から愛想を尽かされ、

「深刻な競技人口減」を招いているのが現在の野球界の現状ではないでしょうか。

ただし、近年、危機感を募らせた一部の先進的な連盟では、

すでに毅然とした対応へのパラダイムシフトが始まっています。

ルール違反が発覚したチームに対し、「一定期間の大会出場停止処分を下す」といった、

厳正な対応を徹底する連盟が現れ始めているのです。

こうした連盟の毅然とした姿勢こそが、結果として現場の不届きな指導者への強力な抑止力となり、

ルールを遵守して頑張る圧倒的多数の健全なチームや、

子どもたちの未来を文字通り守る盾となっています。

職員室のリアル:「熱意」の同調圧力がもたらす先生の涙と、「教育のプロ」の矜持

そして、この「大人の都合によるルール軽視と、それを見逃す空気」は、現在の学校現場、そしてこれからの部活動の地域展開においても全く同じ罠として潜んでいます。

例えば、部活動をやりたい一部の教員や外部指導員が、活動時間や日数のガイドラインを守らず、

実質的に活動を拡大してしまうケースです。

彼らは往々にして「子どもたちが望んでいるから」と言い訳をします。

しかし、中学生という多感な時期の子どもたちは、大人が思っている以上に教員をはじめとする指導者の顔色や空気を敏感に察知するものです。

「勝ちたいか?」と聞かれれば、先生や外部指導員の期待に応えようと「勝ちたい」と言うし、

「気楽にやる部活でもいいんだぞ」と言われたところで、

先生や外部指導員の真意を忖度して答えてしまうのが子どもなんです。

そんな子どもの健気な忖度を都合よく利用し、

定められたルールすら破って暴走する姿、一体どこに教育的価値があるのでしょうか。

ここで少年野球と同じく断じなければならないのは、

「子どもたちが勝利を望んだからといって、ルールを破っていい免罪符には絶対にならない」

ということです。

学校現場で「部活動は教育の一環だ」「生徒指導に大きな価値がある」

という美しい大義名分が振りかざされるたび、

部活をやりたくない先生方がどれほど心を削られ、自分を責めてきたか、

想像して余りあります。

自らの生活や家族、そして心身の健康を守りたいと願う当たり前の意思が、

あたかも「教育者としての熱意がない」「子どもへの愛情が足りない」

かのように否定される同調圧力。

ルールを守って自分の生活を守ろうとする真面目な先生ほど、職員室で孤立し、精神的に追い詰められていく。

そんな理不尽な構造の中で、声を上げられずに耐えてきた先生方の苦しみは、

決して放置されていいものではありません。

ルールという最低限の秩序すら守れない大人の独りよがりな教育論など、

やりたくない側の先生方からすれば、不信感と恐怖しか生み出さないのです。

ただ、私は部活動をやりたい先生方の熱意そのものを否定したいわけではありません。

なぜなら私は学生時代を振り返ると、中学から大学まで思い出すのは部活動のことばかりな人間で、

その価値を体現しているからです。(もちろんダメな部分も)

もし、本当に部活動の持つ価値を生徒に与えたいと切望するのであれば、

元プロ野球審判員として、あえて「教育の“プロ”」としての厳しい矜持を求めたいと思います。

プロの世界を見てきたからこそ断言できます。

本当の“プロ”とは、

ルールという最低限の枠組みを厳格に遵守した上で、

その限られた条件の中でこそ最高のパフォーマンスを発揮し、

高みを目指す志を持つ者のことです。

部活動の価値を語るのであれば、

自身の考えを一方的に押し付けるトップダウンの指導ではなく、

授業と同等、あるいはそれ以上に、生徒の主体性を対話によって導き出してほしいのです。

これは私自身が現在、外部指導員として現場で指導する中でも、

本当に身に染みるほど難しいことだと日々痛感しています。

だからこそ、定められたルールを絶対に守った上で、

生徒と真摯に向き合い、主体性を引き出す指導ができたとき、

部活動の価値は本当の意味で高まるのではないでしょうか。

部活動の真の価値を知り、それを心から愛している先生方であれば、

このプロとしての高い壁を必ず乗り越え、実現できると信じています。



部活動地域展開の成否は「管轄団体のガバナンス」にかかっている

この少年野球の地殻変動は、まさにこれから地域展開が進む「部活動の未来の縮図」そのものです。

受け皿となるスポーツクラブや地域団体には、これから新たな規則やガイドラインが定められますが、ルールは「作る」ことよりも「ルールに則った運用を, 管轄者側が厳正に行うこと」の方が遥かに重要で、かつ困難です。

そもそも、規則に則って厳正に対処することは、誰かを「罰すること」が目的ではありません。

その世界の秩序を守り、全員の安全と公平性を担保するために必要なプロセスなんです。

しかし、地域スポーツや学校空間といった狭いコミュニティでは、

往々にして「古い付き合いだから」「あの先生とは長年の人間関係があるから」と、

情を気にして規則に則ることを躊躇してしまう場面が見られますよね。

ですが、人間関係を優先してルールをなあなあにすれば、

必ず秩序は乱れ、その世界は少しずつ、しかし確実に内側から壊れていきます。

これは野球やスポーツに限った話ではありません。

教育現場の運営にも、そしてビジネスにおける組織のガバナンスにも共通する、

普遍的な「真理」だと思うのです。

近年では、こうした現場の客観的事実を可視化し、ガバナンスを整えるための第三者視点のサービスとして、SPO-LOGのようなサービスを導入して環境を整える自治体も増えています。ですが、どれだけ便利なツールや仕組みがあったとしても、最終的にそれを守らせる管轄側のガバナンスが機能しなければ意味がないのです。

ルールを破った指導者や団体に対し、管轄側が「人」や「背景」を見ず、

起きた「事象」に対して毅然とした態度で対処できるか。

地域展開の現場が「大人の都合や私物化」に飲み込まれないために。

今、部活動の地域展開を管轄するすべての団体に、

プロ野球の審判のごとくルールの「厳正な運用とガバナンス」が求められています。

文部科学省も、このことは熟知しているようで、

認定制度の要件の中には「不適切な指導防止の❝徹底❞」が含まれています。

私は契約書や誓約書、あるいは受動的な研修だけでは❝徹底❞はなされないと思います。

規則・契約内容・誓約内容に則った運用をする事が必要とされます。


本日は、冒頭でも述べた通り、いつもの政策解説とはかわって、

現在の部活動地域展開の外部指導員としての視点と、

元プロ野球審判員という少し変わったキャリアからの視点でお届けしました。

個人的な見解も多分に含まれており、立場によって賛否や異なるご意見もあるかと思いますが、

一つの「現場からのリアルな視点」として、温かい目で受け止めていただければ幸いです。

萩原 達也(はぎわら たつや)

プロ野球審判員という極めて異色のキャリアから、教育業界最大手Benesse(ベネッセ)ホールディングスグループ企業へ。
厳格なジャッジが求められる現場から、日本の教育を牽引する巨大組織での実務へと身を転じた経験から、教育業界における広範な知見と深い洞察を培う。現在はIT企業に籍を置き、テクノロジーを軸とした教育DX(デジタルトランスフォーメーション)の推進に従事。
現場で磨いた独自の視点と、Benesseで得た教育の真髄、そしてITによる変革力を掛け合わせ、固定観念にとらわれない「教育界のアップデート」を提言する。