MichibiQ

小林昭文先生連載「教師の成長を支えるスキル論」 

第3回 『技の透明化現象(The Paradox of Dissolving Skills)』

〈技の透明化現象〉とは熟達した教師のスキルが、 周囲にも本人にも「技(スキル)」として認識されにくくなる構造のことである。

以下の順に述べます。

〈1 「技不感症(わざふかんしょう)」は不評〉

〈2 「技の透明化現象」の意味と構造〉

〈3 「教師スキル」のパラドックスとは何か〉

〈4 「教師スキル」は「日常的な社会人スキル」〉

〈5 「教師スキル」が「日常的な社会人スキル」であるメリット〉

 

〈1 「技不感症(わざふかんしょう)」は不評〉

先日定義した「技不感症(わざふかんしょう)」には以下の3つの欠点がありました。

➀「不感症」という言葉が別の意味で定着しているので誤解されやすい。

➁「技不感」は格闘技で「技を決められてもダメージを感じない」の意味にとられやすい。

➂特に〈熟達した教師の技が「見えにくいこと」〉をイメージしにくい。

そこで教師スキルの根本問題を「技の透明化現象(The Paradox of Dissolving Skills)」と定義することにしました。以下、その内容を述べます。

 

〈2 「技の透明化現象」の定義・意味・構造〉

「技の透明化現象」とは熟達した教師の「技」=「教師スキル(=授業者スキル+担任スキル)」が、「技」として「他の教員や生徒たちに」〈認識しにくい構造〉のことを指します。しかも、熟達すればするほど「ますます見えにくくなっていく」という性質があります。
「そこに技があるのに技として見えにくい」という構造を「技の透明化現象」と名付けました。窓ガラスは磨けば磨くほど、「そこにガラスがあることが見えにくくなる」と同じイメージです。

例えば私が定年退職前の最後の勤務校で新しい高校物理授業を始めたときのことです。2007年度に着任すると同時に「新しい形式の授業」を始め、その成果は着々と現れました。翌年から毎年、物理授業選択者数は増加し続けました。(勤務校は総合選択制)
センター試験(現・共通テスト)の点数も向上し、多くの先生たちが私の授業を参考に、自分の授業を変えていきました。

初めに劇的に広がったのが、パワポとプロジェクターを使うことでした。この年に毎時間パワポとプロジェクターを使って授業をしていたのは校内で私だけでした。多くの先生たちが見に来て、驚き、使い方を尋ね、私が教え、学校中に広がりました。グループワークや「おしゃべり立ち歩き自由」なども広がりました。

しかし、定着したのは「パワポとプロジェクター」だけ。「グループワーク」と「ファシリテーション」、「15分間の説明」と「ストップウォッチを持って説明する」、「必ず確認テスト」、更に「全員が満点になる相互採点」の仕組み、などはあまり広がりませんでした。要するに、「パワポとプロジェクター」のような「道具」=「物質化された技術」だけが広がったということです。技術論の世界では〈道具=技の物質化*1)〉ととらえます。

一方で私がやっていた「チャイム前入室」「グループワークの進め方とファシリテーション・スキル」等々の「技(=生身の人間の技)」はほとんど伝わりませんでした。その理由は私が使っていたこれらの「技」は見学した皆さんからは、「技としては見えなかった」からです。このような現象を「技の透明化現象」と定義します。

 

*1)道具・機械を「技の対象化(=物質化)」ととらえるのは武谷三男(たけたに・みつお)*2)の「技術論」で学びました。私が創出し、多くの先生たちに使ってもらっているクラス開き用のワークシート「座席表づくり」も「小林の技が物質化したもの」=「道具」ととらえることができます。「物質化された技術(スキル)は伝達しやすく」、「人の動作としての技(スキル)は認知されにくく、伝達しにくい」、という事もできます。


*2)武谷三男(物理学者):日本人初のノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹の共同研究者。当時、素粒子論の世界は次々に新しい説明不能な現象が観測されて混乱していた。これに対して「学問発達の段階は、現象論→実体論(構造論)→本質論」と進む。「今は現象論の段階。次は実体論の段階へ進むべきだ」と武谷は論じた。これをヒントに湯川は「実体としての素粒子=中間子*3)」の存在を理論的に予測した。この理論に沿って中間子が発見されたことが評価され日本人初のノーベル物理学賞受賞となった。


*3)現在はπ中間子、またはパイオンと呼ばれている。

〈3 「教師スキル(=授業者スキル+担任スキル)」のパラドックスとは何か〉

日本語では「技の透明化現象」と名付けましたが、英訳は”The Paradox of Dissolving Skills”=「技が熟達すればするほど周囲からも本人自身にも見えにくくなるというパラドックス(逆説)」としました。


《第1のパラドックス:高度な技は熟達するほど周囲から見えにくくなる》

一般のスポーツであれば、熟達した技は素人にもひと目でわかります。例えば園遊会で、「りくりゅうペア」のスロージャンプの飛距離は「何メートルくらい距離が出ているのですか?」と愛子様が質問されました。これに対して「4メートルくらいは出ていると思います」と木原選手が答えて話題になりました。これはスケートを専門とされていない愛子様にも「凄い技」と見えていたということです。同様のことはオリンピック種目の陸上競技の短距離走の時間、マラソン競技の時間、大谷選手のホームランの飛距離‥等々のように、「技の凄さ」は「目で見ても確認できる」し、「数値で確認する」こともできます。

しかし、教師のスキルは見えにくく、数値化しにくいものです。更に、もっと根本的な問題があります。教師が使うスキルは「4メートルもパートナーを投げる」というような「非日常的な技(スキル)」ではありません。「無駄のない説明」「生徒たち全員を見渡しながらの説明」「グループワーク中の質問での介入」「停滞していそうなグループへの適時・適切な介入」などを、さりげなく実践し続けます。

これらの技(スキル)は「歩く」「説明する」「(特定のメンバーに)声を掛ける」‥という単なる「社会人スキル」です。従って、「教師が熟達すればするほど、その技(スキル)は日常的な動きの中に溶け込み、見えにくくなり、周囲の先生たちに伝わりにくくなるという「パラドックス」が起きてしまいます。見学している人たちには、ただ「説明し」「歩き回り」「時々生徒に声を掛けている」だけにしか見えないのです。

熟達した教師の技ほど「日常的な社会人スキル」の中に溶け込んでしまい、見学者に見えなくなるという現象をとらえて”The Paradox of Dissolving Skills(熟達した技ほど日常に溶け込んで見えにくくなるという逆説)”と定義しました。これを「第1のパラドックス」とします。「第2のパラドックス」は当の熟達者の身の上に起きます。その構造は以下です。


《第2のパラドックス:熟達するほど本人自身も言語化しにくくなる》

初任のうちは誰も高度なスキルを持っていません。授業者スキルの熟達者は、色々な契機を活かして、「始業チャイム前に入室する」「生徒たちの顔を見渡しながら説明する」「ワーク中は説明せずに各グループの変化プロセスに注目する」「気になるグループ・個人には質問で介入する」‥などのスキルを磨きます。この段階では成功したり失敗したりしながら「意識的に」練習を続けます。何年かして熟達すると、本人はあまり意識しなくても自然に、いわば「無意識的に」、それらの全てができるようになります。これが「技に習熟する・熟達する」ということです。

担当しているクラスの生徒は居眠りもなく、成績も上がります。多くの若手が「どうすればこんなに凄い成果があがるのですか?」と質問します。ベテランは「いや、別に。フツーにやればいいのよ。力まないでやっていれば上手くなるよ」と答えます。若手は「そうなのかなあ?」と首をかしげることになります。これが「第2のパラドックス」です。

つまり、このベテランが長年かけて身に付けてきた「技(スキル)」が自家薬籠中のものになると、「意識しなくてもできるようになる」ということなのです。


これは「箸の使い方」に似ています。子供の頃はあれほど難しかった箸を、大人になると箸の使い方などほとんど意識せずに使います。何かの機会に、例えば外国の方に箸の使い方を教えるとなると、「あれ?私は指のどの位置に箸を当てていたか」がわからないこともあります。熟達した技は本人も「説明できない」「忘れたかのような状態になる」ということです。これを「第2のパラドックス」と言います。

実を言えば私もこの「第2のパラドックス」の中にいました。新しい物理授業を始めた初期には、意識的に「チャイム前に入室」「ストップウォッチを使って15分間で説明する」「グループを見る時は全体・塊(かたまり)・個人の変化のプロセスを見る」「グループワークには〈質問で介入する〉」‥等々の技(スキル)を編み出し、意識的に繰り返し、熟練していきました。その結果、自分自身で開発した物理授業であるにも関わらず、私の話を聞き、本を読んだ人たちに伝えることができなかったのです。


授業を開発し始めたのは2007年。それから定年退職までの6年間、毎日この授業を実践し、概ね2,000回繰り返し、2013年に定年退職するころには、完全に「第2のパラドックス」の中にいました。それゆえ、授業を「やってみせることはできる」ものの、その技(スキル)の構造を説明する(=言語化する)ことができなかったのです。

私はその後、再現性のなさの原因追及のために、偶然の機会から始めた「多くの先生たちの普段の授業を見学する」という研究方法を継続しました。それにより「評判の良い先生たち」に「共通する行動」があることに気が付き、それらは「自分自身も意識的にやっていた時期があった」ことに気が付き、「ようやく言語化できた」ということなのです。 私と同じように「熟達するほどに技を忘れていく熟達者」は多いのではないかと思います。この文章が契機になり、想起し、言語化して若手に伝達していただけたら幸いです。 


尚、「熟達するほど技を忘れる」という構造をデフォルメしたのが「名人伝(中島敦)」であると私は感じています。わずか、8,000字程度の短編です、「青空文庫」に収録されています。お読みになっていない方は、ぜひ、ご一読ください。https://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/621_14498.html

 

〈4 「教師スキル」は「日常的な社会人スキル」〉

《「歩き回る」→ただ歩いているように見えるが、実際は「全体の変化を把握する巡回」》

《「声をかける」→実際は「巧妙に計画されたプロセス調整のための〈質問による介入〉」》

改めて繰り返しますが、「教師が授業者や担任として使う技(スキル)」は「日常的に使われている社会人スキル」です。武道やスポーツのように「日常生活では使わないような技・身体の動かし方」であれば認識しやすかったのです。それ故、「日常生活ではあまり使わない技」を使う先生たちは目立ちます。例えば「怒鳴る」「殴る」「脅す」「蹴飛ばす」などです。

私が教員になって初めて赴任した「荒れる高校」ではそれらが日常的に行われていました。若い先生たちにベテランが「机を叩いて怒鳴ればいいんだ!」「胸倉掴んで、『ふざけるな!』と締め上げれば、あいつらはいう事を聞く」と教えていました。ひ弱で心優しい先生たちが、追い詰められて生徒に対して「怒鳴り」「胸倉をつかみ」ます。すると、ピタリと生徒たちは静まり、言うことを聞きます。「暴力は蜜の味」。これで「新しい暴力教師が誕生」します。しかし、こんな「非社会的な技(スキル)」が許されるわけがありません。

警察沙汰になったり、裁判になったりしました。そんなことも踏まえて、「日常的な社会人スキル」を磨いて、教師スキルを向上させてほしいものです。

 

〈5「教師スキル」が「日常的な社会人スキル」であるメリット〉

《教師スキルは「人を動かす」「場を整える」「関係性を調整する」という普遍的スキル》=《どの職業でも求められる基礎的能力》

現在のところ、私の「教師スキル論」は広がっていないので、大学や教育委員会主催の研修会等での教師育成に「スキル論」は応用されていません。これを大学の教育課程や教育委員会主催の研修会等で教えてもらえると、「良い教師が育つ」だけではなく、定年退職後の仕事の幅も広がると期待しています。


その理由は「教師に必要なスキル」が「日常的な社会人スキル」だからです。教師としての仕事に習熟することは「社会人スキル」をマスターすることです。その基礎力が定年退職後に様々な仕事に進むことができる基礎になるからです。この詳細は、別稿でリンダ・グラットンの「ライフ・シフト理論」を土台に論じます。お楽しみに。

感想・質問は非公開のX(DM)から。➡MichibiQ公式X

小林先生のメルマガ登録はこちら⇒https://mail.os7.biz/add/5XDr

メルマガバックナンバーはこちら⇒https://mail.os7.biz/b/5XDr

小林昭文(こばやし あきふみ)

埼玉大学理工学部物理学科卒業。空手のプロとして修行したのち、埼玉県公立高校理科(教諭)として25年間勤務。
定年退職後、産業能率大学経営学部教授(クリティカルシンキング、アクションラーニング(質問会議)等の授業を担当)。
現在は㈱AL&AL研究所代表。
著書「アクティブラーニング入門(小林昭文著/産業能率大学出版部)」他多数。
NHKの教育番組にゲストとして出演経験を持ち、さまざまな学校への指導助言を行う教育界の泰斗の一人